家族相談士養成講座【11回目】ひきこもり

図書館のような収納力をもっている住宅があるらしい。
読んでいる本が、県立の図書館でも置いてないことも増えてきたので
土地を買って小屋ログハウスで図書館つくろうかな

今日のテーマは「ひきこもり」。
担当講師はジャーナリストの池上正樹さん。
KHJ全国ひきこもり家族会連合会の職員で
ひきこもりとその家族の支援活動もしているらしい。

ざっくり、
全国的にひきこもりは100万人以上いて、そのうち中高年は約60万人とのこと。
なんだ100万人程度か、と少なく思ったけど、
日本人口が1億だから、少なくとも1%がひきこもりって考えると多いのかな。

ひきこもっている人の多くが青年~中高年で社会参加してるべき年齢で
(実際ひきこもりの60%が就労を希望している)
その背景に家族の本人との関わり方への苦悩があるかと思うと、
これは小さい問題じゃないのかなとも思う。

ひきこもり-家族以外との関係が断たれた状態。病気ではない。

精神疾患が誘因の場合もあれば、いじめやパワハラの経験で、
生きることへ絶望した状態がひきこもりに繋がるとのことで、
十人十色のひきこもり背景があると。
本人としては、生き続けるためにひきこもっていて、
またひきこもることで、安心感を得ようとしているとのこと。
(実際約50%が、安心できる場所があれば就労を希望と)

軽薄だけど今まで自分と自分の周囲に関係なかったからひきこもりについて考えたことが無かった。
ひきこもりの問題って何だろう?

まず本人にとっての劣等感の苦しみがあることかな。
日々の生活ストレスに繋がって、不幸な時間が長くなる。
一方で長期的に就労していないことによる経済的な問題、
年齢とともに支えが得られにくくなる孤立の問題、
ついに劣等感も自己肯定感も失って
自分自身に絶望する流れが想像できる。

家族にしてみたら、恥や偏見の意識の苦悩を抱える問題ってことだけど。
自立してない8050問題をはじめとした生活の継続の困難性や、家庭の社会からの孤立の問題があり、
本人の問題が家庭を暗転させるおそれもある。

じゃ社会的にはどうだろう。

講義の中で、「引き出し屋」という話が出てきた。
「引き出し屋」は、「自立支援を謳う引き出しビジネス」のことで、
メディアで紹介される「ひきこもり3か月で解消します!」、「就職率98%・・」等のあくまでひきこもり支援のための、仕事のことのようで。
ただ実際は、家の外に連れ出すものの後は放置されて、管理付きの借家で孤独死を迎えることになったり、ただ働かさせらる毎日だったりで。人間的な支援サービスではないらしい。また利用料金が月額数百万円などで、それが家族が支払いができなくなるか、本人が消息不明になるまで続けられるとのこと。
引き出し屋は人道的ではないとは思うけど、実際に連れ出すとそれに家族が感動したり、就労を望んでいる本人に実際就労をしてもらうってもいて、良い?悪い?ビジネスになっている気がした。

また都道府県・市町村プラットフォームによる支援イメージ(厚労省・『都道府県別・就職氷河期活躍支援プログラム』)には、

ほとんどひきこもりに対する支援者(専門家?)が入っていないこと、(というより徹底的なひきこもりの就労支援しかイメージされていない)という話があって、国としては、ひきこもり問題≒就労の問題の様子。
さらにケースワーカーの引き継ぎがそもそも無いために支援に繋がらない話もあり、みんな好き勝手やってんなー、って感じがする。

私もそうなんだけど、やっぱり仕事は仕事の面が少なからずあるんだよね。
いやいや責務は果たそうよ、と言われるかもしれないけど。
そもそもそこに、この人でなし社会の原因はないと思う(後述)。

要するに社会的には、ひきこもりの問題は主に経済面の問題であって、人口1%の生産的な労力になるどうか分からない人への問題、という位置づけなのかな。
「働かざる者食うべからず」っていう言葉があるけど、じゃひきこもりはそういう意味で、食わなくてもいいっていう見方でも良いのだろうか。100年くらい前は「精神疾患の患者を全員軟禁してしまって、社会に出さないようにしてしまえば良い。」ということを実際していたし、欧米だと「手間をかけるような精神疾患の患者を全員殺してしまえば、社会はより良いものになる」という発想もあったりで。その考えを善処しているように見せて踏襲する形で、結局生産性に繋がらないひきこもりは、制度や経済性の中で人間的な扱いを受けていないんじゃないかと思う。

識者たちはベストを尽くしているけど、悩んでいる人は減るどころか、増える一方。
うわー、胸が騒ぐ。。
不安を商売にする腐った現代そのもの。

でもこれは実際、私たち自身が、望んでいることでもあるのかなと思う。
「働いてさえもらえればどんなに辛くでも良い、だってお金がなかったら生きていけないじゃないの。」
という、生きること≒お金、という一見まともで正しい、しかし非人間的な制度や状況に気が付けなくなってきている、んじゃないか。
結局みんなお金か。

「親は家庭というブラックホールの中で、子どもを生かすことも殺すことも自由にできる」らしいけど、パソコンやスマホが世界中に普及しても家庭はブラックホールのまま。しかもその家庭内の暗黙の共通認識は、善し悪し関係なく千差万別。
ひきこもるという行動を取っている本人にとっては、ひきこもらないよりも、ひきこもった方が良いと思っている(苦痛が少ない、と思っている)、からひきこもっているという心理背景を伴った事実を改めて考えると、根源的に引きこもっている本人の解釈の問題じゃないかと思う。つまり、さびしいと思ってしまう解釈、自信がないと思ってしまう解釈が問題で、物理的に自分の居場所や行動範囲が狭いことや、過去のいじめられた経験がどのくらいあったかなどの解釈に伴う問題の解決策として、じゃ居場所を用意すれば良いだろう、じゃ自分を肯定してくれる誰かがいればいいだろう、と専門家が問題解決思考で考え、最終的にとても綺麗な形に収めようとすること自体が、問題の本質をごまかして、さらに本人の苦悩を迷宮入りさせてしまうのではないかと思いました。
そのため本人の解釈の問題に専門家が付き合うということは、対処療法の側面があり、また論理的に解決策を提供することで逆に論理として見えている問題の修正が完璧になるだけに、もし見えていない部分や見落としていた部分があったとしたら、それは本人をさらに苦しめることにもなると思われます。

今後は、経済面とは結びつきが弱い形で人間を支援することができる専門職や制度が求められてくるのではないかと思います。

私自身、上記を書きながら恥ずかしい話ですが、仕事(病院の看護)で最も充実感を感じるのは、実は患者の回復よりも、自分の知識や技術を上手く発揮できたと実感できた時だと、最近気がつきました。
「知識を持っていると、知識を使いたくなる」という言葉を聞いたことがありますが、私たち含め各専門家のスタンスが、真にクライアントの生きづらさや苦悩の改善だけを目的とするならば、公的イメージに必要な支援者が抜けるという粗末も無ければ、必要な引き継ぎが行われないという無責任も、基本的にはありえません。なので私自身の心持ちとして、少し真面目にもっともらしく考えている自分に酔ってしまわないように、クライアントの視点で、クライアントにとっての生きづらさや苦悩に対しての改善策導けるようにしていきたいと思いました。
本日ためになったこととして、「ひきこもり」状態にある人の心理背景と書きましたが、

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